環境問題と優生思想:「チェルノブイリの遺産」を観て

昨晩のツイートからまとめておく。


ある人のツイートで、あの「マグナム」の写真家がチェルノブイリを撮った動画「チェルノブイリの遺産」(スライドショーとインタビューの組み合わせ)の存在を知り、観てみた。 http://bit.ly/fswMon 予想通り、先天障害者が撮られている。
僕はこの写真家を責めるつもりはない。いい仕事だと思う。放射線が長期的に検出されている土地に、先天障害者がいて、しかも彼らや彼らの家族が苦しんでいるのを目の当たりしたとする。僕でも間違いなく撮るだろう。
また原発事故による放射線と先天障害との因果関係が不明だとか、科学的なことを問題にしたいわけでもない。
僕がいつも気になるのは、あういう写真を観たとき、僕らの側に生じる恐怖の内実だ。「あんな子ども産みたくない!」と思う人も少なくないだろう。僕はそう思う人を責める気もない。しかしながら、原発事故を含め環境問題や食品問題を訴えるときには必ずといっていいほど、その主張の背景には先天障害をあってはないもの、いわば悪であるという大前提があるらしいことは、どうしても気になる。鎌仲ひとみ監督の話題作――僕は未見。せひ観てみたい――を伝える記事でも「奇形児」という言葉が恐怖を象徴するかたちで使われているhttp://bit.ly/fDXDHT。もちろん僕は監督や記者を責める気はない。しかしこの方法しかないのか、と思う。