『テザ 慟哭の大地』、『風吹く良き日』

昨日のことだが――映画(の試写)を2本も観てしまった。
夕方、新橋のTCC試写室で『テザ 慟哭の大地』という映画の試写を観る。
監督はエチオピア出身、米国在住のハイレ・ゲリマという人で、アフリカ人の「ディアスポラ(離散)」をテーマにしたドキュメンタリーなどをつくってきたという。もちろん僕は初めて知った。
『テザ』もまた、アフリカ人たちのディアスポラ、そして彼らの社会変革への希望と絶望を描いている。舞台となるのはドイツ、エチオピアの首都アジスアベバ、そして名も知れぬ小さな村。主人公は1970年代、医学生としてドイツに留学し、同時に左翼的な革命運動に身を投じる。そこで幾層もの複雑な人種差別を経験する。帰国して首都で医学研究を続けるが、社会主義軍事政権下、労働者階級と知識人との対立に巻き込まれる。いちどドイツに戻るが、またしても人種差別がらみの事件にまきこまれる。そして故郷に戻る。しかし故郷もユートピアではなく、因習と内戦に翻弄され続ける。
率直にいってほとんど救いがない映画である。たぶんエチオピア出身のゲリマ監督から見た現実なのだろう。しかし左翼の歴史というのは、どの国もほんとに似ている。とくにイデオロギー的な対立が、陰惨な暴力へと容易に発展していく過程は、社会主義革命が成功した国でも失敗した国でも、普遍的に見られることは誰もが認めるところであろうが、エチオピアも例外ではないらしい。ブルジョワ勢力によるデマだという人もいるかもしれないが、あまり説得力は感じない。しかし資本主義もまた……と書くと、長くなるのでやめよう。
夜、東銀座の松竹試写室で『風吹く良き日』という映画の試写を観る。
この作品は1980年につくられた韓国映画で、パク・チョンヒ政権崩壊後の民主化運動のなかで生まれた作品だという。ソウルに住む3人の若者の、あまりぱっとしない生活をユーモラスに描いている。ユーモラスに、と書いてしまったが、正直にいってあまり笑えなかった。背景となる文化が現在の日本と違うせいなのか、それともそのユーモアがあまりに自虐的過ぎるからか。これまたほとんど救いのない作品だった。
1980年につくられたこの『風吹く良き日』と、1984年につくられた『鯨とり』という作品は、「韓国ニュー・ウェーブ、再発見」と銘打たれて、この夏、「連続ロードショー」として公開されるという。1作品観ただけで判断するのは危険かもしれないが、社会的に成功しているとは言いがたい若者を、その若者の視点から描くという手法は、アメリカのニューシネマやフランスのヌーベルバーグと似ているかもしれない。いずれにしろ、恋愛もの以外の“韓流”も、お隣の国を知るうえで、触れておいて損はないと思う。