『アジャストメント』

毎月1日の映画サービスデイには当然、映画を見る。この日には都内に出てミニシアターをはしごするのがいちばん経済的だということはわかっているのだが、なかなかそううまくはいかない。仕事が一段落したのはやっと夕方。僕がいつも行っているシネコンでは
夜には1200円で見られるので、サービスデイの夜に見てもあまりお得感はないが、それでも観る。
何を観るか少し迷ったが、『アジャストメント』を観ることにした。主演はマット・デイモン。原作はフィリップ・K・ディック。ディックの作品はかなり映画化されている。『ブレードランナー』は別格として、『トータルリコール』や『マイノリティリポート』はまあまあ、『ペイチェック』はいまひとつだった。『NEXT』のように、残念だとしかいいようもないものもあった。ちなみに僕は『ブレードランナー』に衝撃を受けて以来、ディックの小説はそれなりに読んでいるつもりだが、『アジャストメント』は読んだ記憶がない。いま調べてみたら、同名の短編集に入っているようだ。
というわけで原作未読のまま映画を観てみたのだが、ディックという原作者の影響力はすさまじいらしく、『ブレードランナー』、『トータルリコール』、『マイノリティリポート』とほとんど同じ問いかけが反復されている作品のように見受けられた。
すなわち……自分とは何か? 自分とは本当に自分であるのか? 自分の意志とは本当に自分の“自由な”意志なのか?
偶然に、というかそれこそ運命的に出会った男女が、運命に翻弄されて引き裂かれる。それでもまた出会い、また引き裂かれる。どうやら人類はすべてその運命を(神のような存在に?)あらかじめコントロールされているらしい。2人はその運命に必死に抗おうとする。そしてもちろんハリウッド映画らしい結末が待っている。
きわめて哲学的な問いかけを含む設定でありながら、映画のストーリーはそれほど面白いものではなく、あまりに安易なハッピーエンドで終わる。アクションも映像もとくに斬新ではない。僕的にはエミリー・ブラントがきれいだったことが唯一の救い。
ディックといえば『トータルリコール』のリメイクも報じられていたはず。いやな予感がしないでもない。