『孔子の教え』、『ジョン・レノン、ニューヨーク』

今日は試写を2本も観てしまった。場所も同じ京橋テアトル試写室である。時間を節約できてありがたい……が、僕は何をやっているんだろう? それはともかく、偶然にも、2本とも歴史に名前を残す偉大な思想家を主人公にしたものである。
まず昼過ぎに『孔子の教え』を観た。説明するまでもなく、『論語』で知られる中国の大思想家の伝記映画である。
プレスキットの監督インタビューによれば、これまで孔子を主人公にした映画はなかった、という。これは意外だった。それだけ神格化されているということらしい。本来はテレビドラマとして企画されたものだが、途中から映画に変更されたという。
映画は、孔子の人生を追うのだが、なかでも魯国を追放され、諸国を旅して教えを広め、そしてまた魯に戻る過程が中心的に描かれる。追放が孔子の失敗として描かれていることが重要だと思った。しかし、神格化されている人物のネガティブな側面、ある意味で人間的なエピソードを描くことは、伝記映画の手法としては、それほど珍しくないかもしれない。また弓や馬、戦術に優れていることも、漢文の教科書でしか孔子を知らない者にとっては、新鮮だった。そしてほんの少しだけだが、『レッドクリフ』的な戦闘シーンもあった。歴史に残る傑作とまではいわないが、佳作とはいってもいいだろう。


ところで京橋テアトル試写室があるビルの隣には、「MOZART」という小さなギャラリーがある。いつもは気にもとめないのだが、今日は少しだけ気になった。ガラスばりの部屋で、2人の若者(1人は女性、1人は男性)が床に直接座っている。見たところ、絵も彫刻も写真も置いていない。気になって入り口のほうに回って見てみると、入り口に「武久絵里展」という案内がある。(いまネットで調べてみたところ、案内の文章は、同ギャラリーのウェブに載っているものとほぼ同じのようだ http://g-mozart.jp/ 。)しかしそれを読んでもいったい何の展示なのかさっぱりわからない。
確か、お気軽にお入りください、とも書かれていたと思うが、何の展示なのかさえわからず、見たところ何もないスペースに若者2人が床に座っているところに入っていけるだろうか? もちろん僕はできない。そう思わせること自体が1つのねらいになっている前衛芸術なのかもしれないが、僕には理解不可能なものだった。


その一方、僕にも理解可能なアートを生涯に渡って展開したアーティストを主人公にした映画が、次に観た『ジョン・レノン、ニューヨーク』である。ジョン・レノンをテーマにした映画は何本かあり、ドキュメンタリーだけでも結構多く、僕はたぶん、『イマジン』と『PEACE BED』を観ている。今日観た『ジョン・レノン、ニューヨーク』は、題名通り、ジョン・レノンの「ニューヨーク時代」と呼ばれる時期にスポットをあてている。もちろん主人公は故人なので、映画は、オノ・ヨーコをはじめとする関係者(ミュージシャン、写真家、プロデューサーなど)のインタビュー、過去のテレビなどの映像、そして、プライベートで撮られたと思われるフィルム映像などから構成される。僕的には、彼のいろいろな曲のアウトテイク音源がふんだんに使われているのがよかったと思う。アウトテイクはもちろん、「ボツ音源」なのだが、ジョン・レノンが死んですでに久しく、歴史的な価値があると考え、オノ・ヨーコが使用を認めたのだろう。ジョンとヨーコが別居していた時期のことも、それなりにちゃんと描かれる。まだ存命であるヨーコの立場をふつうに考えれば、あまり思い出したくないことであろう。その時期のことが不十分ながらも描かれていたことを、どのように評価すべきかは迷うところ。
いずれにしても、面白かった。ビートルズジョン・レノンが好きならば、観ておいて損はない作品だ……といいつつ、僕は昨年公開されたジョンの伝記映画『ノーウェアボーイ』を劇場で観逃している。そこで先日、TSUTAYAでそのDVDを借りてきて、『〜ニューヨーク』を観る前に鑑賞しておこうと思ったのだけど、結局それを観ないまま、『〜ニューヨーク』のほうを先に観てしまった。ま、いいか。その印象が薄れないうちに、『ノーウェア〜』も観てみよう。


2本目の映画を観終えて、さきほどの「MOZART」の前を通りすぎると、若者の人数は増えていた。何を展示しているのかは、そのときもわからなかった。


追記:
数日後、この不思議な展示(?)についてのブログ記事を見つけた。 http://amba.to/nq5uIT しかし、これを読んでも、何が何なのかさっぱりわからない。