『GATTACA(ガタカ)』再考

ある事情のため、『GATTACA(ガタカ)』をDVDで観る。もちろん初めてではない。というか、毎年講義で使っているので、何度目かわからないほど観ている。今年は震災の影響で講義数が少なく、そのため出生前診断について時間を割くことができず、授業での一部上映はしなかった。その代わりレポートの課題とした。
今回鑑賞し直したのは、それとは異なる事情のためである。
この映画が発表されたのは1997年。歴史的には、クローンヒツジ「ドリー」の誕生が発表された年であり、ヒトES細胞樹立報告の前年であり、ヒトゲノムの塩基配列決定のカウントダウンの時期だった。つまり、クローンをはじめとするバイオテクノロジーの人間への応用が間近なものであるというイメージが形成され、それが人々に不安を呼び起こし、その是非をめぐる議論が高まり始めた時期である。いま観ると、ちょっと違うかな、と思える部分がないわけではないが、1997年の時点でここまで見えていたのか、という印象のほうが圧倒的に強い。
なお今年1月、NASAが科学的見地から見て「ありえない映画」7本を選び、その1位にはローランド・エメリッヒ『2012』が挙げられたのだが、僕や僕の知人の多くは、同時に発表された「現実的な映画」の第1位に『GATTACA』が選ばれたことに反応した http://bit.ly/fkYNsH 。「『GATTACA』って、「ありうる」んだ。やっぱりね」と。

■“現実的な映画”ベスト7作品
1.「ガタカ」(98)
2.「コンタクト」(97)
3.「メトロポリス」(29)
4.「地球の静止する日」(52)
5.「Woman in the Moon(原題)」(未)
6.「遊星よりの物体X」(52)
7.「ジュラシック・パーク」(93)

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1584697.html

僕は数年前、海外で「23andMe」など直販型遺伝子検査が問題になり始めたことを知ったとき、この映画を思い浮かべた。この映画では、遺伝子検査のシーンが何度もあり、その作品世界では、それが気軽にできるものであり、また本人の許可なくできることも示唆されるのだが、直販型遺伝子検査で問題になっているのも、その気軽さに由来することである。
そのことも含め、バイオテクノロジーを主題に据えたSF映画は、『ブレードランナー』のような名作から『シックスデイ』のような愚作までたくさんあるが、リアルさという意味においてこの映画をしのぐものは思い出せない。
先を急ごう。この映画の舞台は、よく言われるように優生思想あるいは遺伝子決定論が社会の隅々にまで徹底された未来社会である。遺伝子という生物学的特徴によって、すべてが決定されるディストピア。遺伝子差別が「差別」として認識さえされない社会。もちろん、その認識は間違っていない。しかしながら、この映画の舞台となる社会にはもう1つの側面があることを教えてくれたのは、尊厳死などの研究で知られる大谷いづみさんである(松原洋子ほか編『生命の臨界』、人文書院)。
人あるいは社会が、人を評価する基準には、多く分けて「属性」と「能力」がある。社会学タルコット・パーソンズの「パターン変数」でいうところの「属性本位」と「業績本位」である。いうまでもなく、近代化によって優位になってきたのは、前者よりも後者である。僕自身、能力や業績ではなく、人種、性別、国籍などの属性によって、人のすべてが判断される社会よりも、能力や業績によって判断される社会のほうが“まし”だと思う。『GATTACA』の世界はどうか。ありとあらゆる機会に遺伝子を検査される社会は、パーソンズ的にいえば「属性本位」の社会であろう。「属性主義社会」といっていいかもしれない。人々が、『GATTACA』で描かれているような優生思想あるいは遺伝子決定論的なものに警戒するのは、前近代的な属性主義への恐れからであろう。
しかし『GATTACA』を注意深く観てみよう。
主人公ビンセントは、遺伝子検査に備えて血液などのサンプルを、遺伝子エリートのジェロームのものを使うものの、その一方で、古い教科書をすべて暗記してペーパーテストをクリアし、(この世界では通常の)遺伝子操作を生まれた弟とのチキンレースでも勝利する(しかも二度も)。それに対して遺伝子エリートのジェロームは、下半身不随になったことで、自分の身分を売らざるを得ないほど困窮していることが示唆される。
だとするならば、『GATTACA』の世界とは、遺伝子決定論という「属性主義」が貫かれた社会であると同時に、それと同じくらい強く、「能力(業績)主義」が貫かれた社会ではないか。大谷いづみさんは、僕とは使う言葉こそ違うが、そのことを指摘していたはずだ。
NASAは『GATTACA』を「現実的な映画」、ありうる映画と評価していた。僕も同感だ。しかしそのリアルさは、現在のバイオテクノジーがもたらしうるものというよりは、人の能力の違い、それがもたらす格差を積極的に認める現在のネオリベラリズムがもたらしうるものから来ているのではなかろうか。
『GATTACA』の先見性はそこにもあるのだ。

ガタカ [DVD]

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生命の臨界―争点としての生命

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社会体系論 (現代社会学大系 14)

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