『コクリコ坂から』

夕方、いつものシネコンで、たまったマイレージを使って『コクリコ坂から』を観る。いわずと知れたジブリの新作。父親は脚本、息子が監督。レビューなどはあえてできるだけ触れずに観た。
東京オリンピックを間近に控えた高度成長期の横浜が舞台。下宿人たちの食事づくりなどしながら健気に生きる少女と、彼女と同じ学校でクラブハウスの取り壊し反対運動に取り組む少年が、互いに惹かれあうのだが、あることがわかってしまう。しかし…というストーリー。愛し始める2人にある障壁が立ちふさがり、悲劇になりそうになるのだが、彼らの両親の過去の出来事が徐々に明らかになり、それに合わせるかのように、クラブハウスの問題も落ち着くところで落ち着く。(明らかになる背景事情には、ちょっとホモソーシャルな話があったりする。)
こうしてあらすじを書くと、使い古されたメロドラマのように思えてくるし、実際、登場人物の1人がそう言ったりもする。しかし僕はとくに批判する気にはなれない。それは、まあ僕がジブリ贔屓ということもあるかもしれないが、やはり完成度の高さ、とくに、画力のためであろう。いつものことであるが、背景はもちろん、画面のほんの片隅に写る小物まで、これでもかというほど緻密に描くジブリイズム(?)には圧倒的な魅力がある。とくに「カルチェラタン」と呼ばれるクラブハウスが、ある様子からある様子へと変貌していくのだが(高度成長期で変わりゆく日本を重ねているのか?)、その描写が素晴らしい。DVDで観るときには、ぜひ途中でストップさせて、細部を確かめたいと思ったほど。
ところでジブリ作品には、海の見える街を舞台にした作品が多い。この作品の舞台もどこかをモデルにした架空の街かと思ったら、そうではなく、すぐに横浜(桜木町)だとわかった。
一般論だが、映画は、作者の意図とは関係なく、観客が勝手に文脈をつくって、解釈されるものである。僕は港町の描写を観ながら、被災した東北の港町を思い出し、そういえば『ポニョ』では津波のシーンがあったことを思い出した。あの津波の描かれ方は、当時も引っかかったし、311後のいまはもっと引っかかる。一方、この作品では津波は起きないが、ある悲劇が過去にあったこととして回想される。そして人々が切り裂かれる様子がきちんと描かれる。もちろん再生も描かれる。そのループこそが、映画、小説、マンガといった媒体を問わず、物語というものなのだろう。
アリエッティ』に続いて、ジブリ的世界のある片方の側面がていねいに描かれた佳作だと思う。しかし僕としては、もう片方の側面、異形の者たちが次々と登場し、考えられないような悲劇を含む大展開が起き続ける世界もまた、一ファンとしては経験したいと思う。
(ついでながら、カルチェラタン内部で、目玉の絵が壁に掛けられていたように記憶しているのだが、それは『20世紀少年』の、例のマークに似ていたように思う。偶然だろうか。)