『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』

午前中、神保町へ。さぼうるでの打ち合わせをはさんで、書店を数軒まわって仕事関係の本を買う。明倫館で3冊、小宮山で2冊、澤口書店で2冊。厳松堂がなくなってしまった後にできた澤口書店はなかなか素敵な店だった。書棚の配置が明快で、目的のものがありそうなところにすぐ辿り着ける。たぶん神保町に行くたびにのぞく店になりそうだ。


夕方、京橋テアトル試写室でと 『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』という映画の試写を観る。この映画は題名通り、2人ともあまりにも有名な作家・思想家であるジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールの出会いとある時期までの関係をドラマ化したもの。主にボーヴォワールの視点から描かれる。僕は双方の著作を数冊読んでいるはず。
映画が焦点を当てるのは2人の思想でも活動でもなく、愛と性である。わりとよく知られていることだと思うが、2人はお互いに愛し合いながらも、ともにほかの相手との関係を持った(ボーヴォワールは女性とも)。映画によると、それはサルトルの提案らしく、結婚生活など既存の因習に疑問を持っていたボーヴォワールは、とまどいながらもそれに応じたとのこと。
彼らの関係はきわめて複雑で、ボーヴォワールは教え子の女性学生と同性愛関係になり、サルトルはその女子学生にもちょっかいを出すが、ふられる。女学生はサルトルの教え子の男性を結婚するが、ボーヴォワールはその男性と関係を持つ。サルトルは、ふられたボーヴォワールの教え子の妹とも関係を持つ。サルトルボーヴォワールも、そのほかにも多くの人と性愛関係を持つ。作家には、刺激が必要というのがサルトルの持論であるが、ボーヴォワールやしばしば戸惑いを示す。それはいわゆる嫉妬と見えなくもない。ちなみにサルトルボーヴォワールも、そうした関係をお互いに逐一報告していたという。いずれにせよ、僕の価値観(保守的か?)では、あまり理解できない性愛関係を彼らは築いていたようだ。
ボーヴォワールに関しては、そうした不安定な性愛生活は、執筆活動にも少なからず影響を与えたらしい。ちなみに登場人物の人名のいくつかは、変更されているという(プレスキットには本名が書かれていたが)。
そのほか僕としては、ポール・ニザンアルベール・カミュが登場したことも、おぉ、と思った。ジッド、フッサールハイデッガー、ジュネ、メルロ=ポンティへの言及もあった。
秀逸、といっていいものか、ちょっと迷う。確かに面白い映画ではあり、観て損はないと思う。しかし、サルトルボーヴォワールに対して興味がない人にどれだけ響くかは疑問。彼らはブルジョワ階級の価値観を否定しているが、成功者であることには変わりない。現代の一般的日本人に響くものがあるかどうかはやや心許ない。