『風にそよぐ草』

半蔵門に移動し、東宝東和の試写室で『風にそよぐ草』の試写を観る。いわずと知れた巨匠中の巨匠、というか、失礼ながら「まだ生きていたの?」と言いそうになるアラン・レネ監督の新作である。原作はフランスで話題になったという小説で、プレスキットによると、原題を直訳すれば「狂った草」という意味になるらしい。
ある中年女性がバッグを引ったくられる。犯人が捨てた財布を、ある中年、いや初老の男性がそれを拾い、身分証明書の写真などを見て、いちど家に持ち帰る。男性の言動がおかしい。どこか狂っている。なお男性には妻子および孫がいるが、女性は独身である。
男性は財布を警察に届ける。警察から財布を受け取った女性は、男性にお礼の電話をかける。電話はあっさりと終わる。男性は手紙を書き、女性の自宅のポストに入れるが、すぐにそれを後悔する。女性は返事を書き、男性はそれに返信をする。
男性は毎日のように女性に電話をかける。拒絶されると、クルマのタイヤをパンクさせる。つまりどう見てもストーカーとしか思えない行動を続ける。女性は警察に相談し、警察は男性にやめるよう諭す。しかし今度は女性のほうが男性に対して……と、ありえそうもない展開が起こる。そしてラストも、「衝撃的な最後」とレビューに書かれたくてしょうがないとしか思えない出来事で終わり、最後に思わせぶりな意味不明のシーンが付け足される。
監督を含む制作者たちは、フランス人はみな恋愛ボケである、という偏見を国際的に強めたいのだろうか。
主人公の男性は、いま失業中であり、心の病いを抱えている可能性も示唆される。かわいそうなのは、主人公の妻だ。途中、「別れた妻は再婚した!」という台詞もあるので、もしかすると2人目の妻であり、子どもたちの母親ではないのかもしれない。彼女は夫の言動のおかしさに気づいている。しかし彼女の心情についてはほとんど何も描かれない。男も女も年齢にかかわらず恋をし、そして恋は人を狂わせるものだ、という凡庸なメッセージは伝わってくるが、その犠牲については何も語らなくてもいいのか。「ヌーヴェルヴァーグの巨匠」ともなると、どんな作品をつくっても許されてしまうのか。そういえばアニエス・ヴァルダもおかしな作品をつくっていたという記憶がある。どうも黒澤の晩年の作品群を思い出して苦笑してしまう。