『黒い雨』

か「明後日のトークライブに備えて、遅まきながら、あなたのおすすめしていた『黒い雨』、観ましたよ」 
さ「お、そうですか。“原子力映画”の古典中の古典ですね。サイエンスアゴラのとき、この映画を取り上げるのを忘れていたのは、いま考えると、うっかりしていたかも」 
か「そうそう。核戦争や原発のことばかりに気をとられていて、現実に広島に落とされた原爆のことを忘れていたのはまずかったかもね」 
さ「それで今度のどうするかと考えているときに、はっとこの作品のことを思い出したわけ」 か「僕はひどくてさ、去年の6月に林衛さんと被災地に行ったとき、盛岡で泊まったんだけど、盛岡の名画座で、『黒い雨』が次の週ぐらいにかかることが予告されていたんだよね。たぶん震災を意識して選んだんだと思う。そのことがあったのに僕は忘れていた」 
さ「まあ、いいじゃん。あなたはこれを観たのは初めて?」 
か「たぶん初めてだと思う。でも音楽はよく聴いている」 
さ「武満徹ね」 
か「そう。僕がたまたま図書館で借りてリッピングしたCDはサントラじゃないので、演奏者が同じかどうかはわらないけど」 
さ「監督は巨匠・今村昌平。出演は田中好子」 
か「キャンディーズのスーちゃんね。先日若くして亡くなってしまいましたが」 さ「原作は井伏鱒二。読んだ?」
か「通して読んだことは、残念ながらない。中学の国語で部分的読んだかも。あなたてきには助監督が気になるんじゃないの?」 
さ「三池崇史。まあ、それなりにね」 
か「どんな話なのか、あなたから話してよ」 
さ「はいはい。1945年の8月6日、ある夫婦とその姪が、広島で被曝する。夫婦は
爆心地近くで スーちゃん演じる姪の矢須子は少し離れたところで、“黒い雨”を浴びる」 
か「それがタイトルになっているわけね」 
さ「黒い雨っていうのは、原子爆弾が爆発した後、降ったとされる重油のような真っ黒な雨のことで、放射性物質を含むといわれている」 
か「だからそれを浴びると、原子爆弾の光、いわゆる“ピカ”を浴びなくても、被曝するといわれている。いわゆる二次被曝」 
か「ほかの映画のタイトルにもなっているね」 
さ「リドリー・スコットの『ブラック・レイン』ね。あれは大阪の空襲らしい。あなたはこの映画好きらしいけど、今日はその話はしない」 
か「わかってるって。続けてよ」 
さ「子どもいない夫婦は、すでに母親のいない姪を引き取って、戦後、岡山に住んでいる。25歳になる彼女の結婚相手を探すんだけど…」 
か「親戚が独身の身内の結婚の世話をするなんて、そういう時代だったんだね」 さ「その話もしない。で、縁談は次々と失敗する」 
か「“ピカ”を経験したということでね」 
さ「そう。いいところまで行っても、広島で被曝したことを相手側の家族が知ると、この話はなかったことに、みたいなことがつづく」 
か「それでおじは、医師に健康診断書を書かせたり、原爆投下当時、爆心地から離れたところにいたことを、当時の日記で証明しようとしたりする」 
さ「いまの感覚からすると、そこまでするの、と思うけど、そういう世相だったんだよね。被曝者差別ってのは、ほんとに根深くあったらしい」 
か「うん、僕も知識としてしか知らないけど」 
さ「この映画では、おじとおばは、徐々に体調が悪くなっていく。同じように被曝した人たちも」
か「主人公もね」 
さ「そうだけど、最後にどうなるかはいわないでおこうよ」 
か「はいはい」 
さ「この映画が訴えてくるのは、核そのものの問題と、被曝にまつわる差別の問題。とくに後者は、どうも福島で問題になりはじめている気配がある。だから気になってさ」 
か「そうだね。福島産の食品が、規制値以上の放射性物質が検出されているわけでもないのに売れなくなっているのもおかしな話。福島産だから危険、他県産だから安全、というのはナンセンス」 
さ「もっといわゆる差別といえる話も」 
か「うん、千葉県に疎開していた子どもが『放射能うつる』といわれていじめれたとか、福島出身の人が献血しようとしたら断られたとか。ちょっと不確かな話だけど、縁談が流れたなんてことも」 
さ「ひどいよね。とくにいじめの話。放射能はうつるわけじゃないし、広島の被曝者ほどたくさんの放射線を浴びたわけじゃない」 
か「よくそう説明されるんだけど、僕はその説明には落とし穴があると思うんだな」 
さ「どういうこと?」 
か「まず、放射能はうつらない、だから差別してはいけない、という説明だと、うつる病気、つまり感染症や遺伝病だったら差別してもよい、という前提があることになる。強制的な隔離や断種もOK、と」 
さ「そこまでなるかな」 
か「少なくとも論理上は。それに、広島や長崎では遺伝障害は観察されていないため、放射線による次世代への影響はないって言い切っちゃっている人がいるけど、放射線の影響っていうのはもともとマラーのショウジョウバエの実験などから始まったんだし、あと、チェルノブイリでは遺伝障害を疑わせる知見もある。ゲノムレベルだけど」
さ「ほう…」
か「差別批判にも落とし穴があるということは『黒い雨』でもさりげなく組み込まれていますよ」 
さ「……ああ、被曝差別によって姪が結婚できないことを嘆くおじは、いっぽうで精神疾患を……ってことね」  
か「そういうこと。それはここで話すとネタバレになるのでやめておこう。話を戻すと、うつらないから差別はだめ、というのは二重の意味で間違いがある。『うつる』かもしれないし、うつるんだったら差別はいいのか、という意味で。あと、福島の放射線汚染は、広島や長崎、チェルノブイリに比べて大したことがない、だから差別はいけない、という考え方にも無理がある。福島でも、たとえば原子力発電所の作業員でうっかり被曝しちゃった人など被曝量が比較的い高い人もいるかもしれない。では、そうした人を就職や結婚において差別していいのか? いけないでしょ。つまり一つの差別を解決しようとすると、別の差別を深刻化させてしまう可能性がある、ということ」 
さ「なるほど、論理的にはそうなるかもね。で、あなたとしては、そうした差別は仕方ないことだと考えるの?」 
か「まさか。重要なのは、差別、つまり人間の待遇を属性によって決定するようなこと、そのこと自体を、人類は少なくとも近代以降は少しずつだけど、捨ててきた、ということ。タルコット・パーソンズのパターン変数では…」 
さ「社会学用語は使わないでよ」 
か「はいはい。ようするに属性主義はあまりよくないことで、能力主義のほうがはるかにましだということ。能力主義も行き過ぎはだめなんだけどね」 
さ「ネオリベ能力主義だからね」 
か「そう。でも属性主義よりはずっとましで、その属性主義がいわゆる差別の根源」 
さ「ユダヤ人だから、黒人だから、朝鮮人だから…」 
か「そういう考え方がどんな深刻なことを引き起こしたかというと…」 
さ「アウシュビッツ」 
か「そういうことだね」 
さ「でも、あんたの考え方からすると、実際にうつる病気についてはどう考えるの? 差別はOKなの? 実際、感染症や遺伝病はあるんだし」 
か「それは難しい。強制的な隔離とか断種とか考えるだけでもいやだけど、まずは医療上のケアなど、本人にとって利益になることを補償としたうえで、さらにできる限りの説明をつくして、同意を取って実施する。少なくとも、感染症にはあるていど適用できると思う。ただしそれを遺伝病や、放射線の遺伝障害に適用できるかどうかは、確信はできない」
さ「難しそうだね。でも考え続け、議論し続けることは重要だし、そのための素材としては『黒い雨』は悪くないでしょ?」 
か「それには激しく同意。僕たちのトークライブも、そのための場にしていこうよ」



……以上、某事情で、対談風でお届けしました。「か」と「さ」は架空の人物です(笑)。