『菖蒲』、『桃さんのしあわせ』

午後、六本木シネマートで、ポーランドの巨匠中の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の新作『菖蒲』を観る。これがなかなか興味深い作品だった。「原作:ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチ」とあるので、ポーランドで書かれた小説を元にした文芸映画かと思ったのだが、そんな一言でまとめられる作品ではなかった。この映画は確かに、イヴァシュキェヴィチの短編小説『菖蒲』(邦訳もあるらしいがもちろん僕は未読)を映画化したものを含んでいる。しかしそれはこの映画を構成する要素のうち一部にすぎない。この映画にはそのほかに、ポーランドを代表する女優で『菖蒲』を主演しているクリスティナ・ヤンダがワイダ作品の撮影監督でもある夫の死について語るモノローグと、『菖蒲』の撮影を記録したドキュメンタリー、いや偽ドキュメンタリーが含まれている。
『菖蒲』では、主人公の中年女性が、死んだ自分の息子と同じくらいの年齢の男性に恋心らしきものを抱く過程を、美しい映像効果をまじえて描いている。これだけだったら僕が興味を持つことはないだろう。
その物語の前後には、ホテルの一室でヤンダが夫の死について独白する映像が置かれている。この部屋は、アメリカの画家エドワード・ホッパーの作品を元にデザインされたらしい。しかもその台詞は、ヤンダ自身が執筆した「最後のメモ」であるという。
さらに『菖蒲』の撮影ドキュメンタリーらしき映像もある。そのなかでヤンダは突然、撮影現場から逃げ出す。プレスキットによれば、ヤンダは実際に、過去のワイダ作品の撮影中に逃げ出したという経験があるらしいが、このシーンはもちろん創作である。つまりこの部分は、いわゆる偽ドキュメンタリーだ。
そのほかシャンドル・マライの短編小説『突然の呼び出し』のモチーフも加えられているらしいのだが、それがどの部分なのかは、僕にはわからなかった。
一見、小説と原作とする文芸映画のような装いをしながら、実はそれは映画全体の一部でしかない、というスタイルは、我が青春の薬師丸ひろ子主演『Wの悲劇』を思い出させるが、『菖蒲』はもっと複雑である。ワイダぐらいの巨匠になると、自分のスタイル、または既存の形式に固執してしまい、保守的になりそうだが、少なくともこの作品は、形式そのものから冒険していると評価していいだろう。秀逸。


京橋に移動して、いつものテアトル京橋で、アン・ホイ監督『桃さんのしあわせ』の試写を観る。主演はアンディ・ラウ。この作品のプロデューサー、ロジャー・リーの実体験をもとにした作品らしい。
ある日、ラウ演じるやり手の映画プロデューサーの一家に60年間家政婦として使えた女性が、脳卒中で倒れてしまう。彼女は家政婦をやめ、養老院で過ごすことになる。明らかに痴ほうと思われる老人たちや半ばいやいやに彼らの世話をするスタッフ、その家族の様子などからは、香港、いや中国でも、日本と同じような老人問題、介護問題が存在することがうかがわれる。プロデューサーの男性は彼女の最期の日々を、まるで家族のように、いやもしかしたら家族以上の気遣いでいたわる。
明らかに金持ちで成功者であるはずの彼の彼女への気遣い、もしくは優しさは、隅から隅までネオリベラリズムが浸透した日本で見ると、不自然のように見えるほどだ。実際、養老院に出入りする人たちは彼を、彼女の義理の息子だと勘違いする。
僕は中国や台湾、韓国でつくられた映画を観ると、ときとして、ほっとすることがある。そこには日本では失われつつある情感が描かれている。もっとも、それらの映画はそうした情感がその舞台である土地からも消えつつあるものとして描いているのであろうが…。こちらも好感の持てる作品だった。