『アタック・ザ・ブロック』

今日は国士舘大学町田キャンパス(21世紀アジア学部)の非常勤「生命科学と21世紀社会」で「幹細胞ツーリズム」について話してきた。試験の書類手続きについて思いっきりミスをしてしまい、事務の人に怒られてしまった(苦笑)。
終了後、いつもは新宿で映画を観るのだが、今日は下北沢で乗り換えて渋谷へ。シネクイントでジョー・コーニッシュ監督『アタック・ザ・ブロック』を観る。製作にはエドガー・ライトが入っている。批評家や映画通の間での評判はすごくいいので、少し期待してみた。周知の通り、ロンドンのある団地を襲ってきたエイリアンと、現地の不良少年、というか少年ギャングたちが戦う…というあらすじだけ聞くと、頭が痛くなりそうな作品である。それでも観る気になったのは、前評判が非常にいいということもあるが、去年の夏にロンドンで起きた暴動が記憶に残っており、気になったからでもある。
エイリアンは、クマのようなゴリラのような感じの毛むくじゃらで、目が見当たらず、歯が光る。侵略エイリアンものの例に漏れず、まずは地球にズドンと何かが落ちるのだが、最初のエイリアンは、あっけなく不良少年に殺されてしまう。その後も、エイリアンは凶暴といえば凶暴なのだが、意外と簡単に不良少年たちにやっつけられてしまう。エイリアンといっても、知的生命体のようには見えず、どちらかというと、正体不明の猛獣のように見える。戦う相手が不良少年たちだから、その設定でちょうどいいような気も(笑)。少年たちの武器は、ナイフ、バット、花火、日本刀(?)など。日本刀なんて使いこなすには相当のスキルが必要なはずだけど、少年ギャングが一振りでエイリアンを倒すシーンには、おいおい、と…。(『プレデターズ』で寡黙なヤクザが日本刀でプレデターと相打ちになるシーンを思い出した。それに比べると…。)
最終的には、予想通り、ギャングのリーダーがすべてのエイリアンを倒してヒーロー扱いされるのだが、野獣のようなエイリアンがそんなに都合よく一カ所に集まるというのはちょっとご都合主義かなあとも。まあ、設定自体に無理があるので、必要以上に説得力を求めてもしょうがいないのだが。
1つだけ「ほ〜」と思ったのは、ギャングの1人が看護師をしている登場人物に「恋人はいるの?」と聞き、彼女が「ガーナで医療援助の活動をしている」と答えたとき、「イギリスの子どもは助けないで?」といったこと。このやりとりには、日本以上の格差社会であるイギリスの実情が反映されているのだろう。僕的にはそれほど面白い映画ではなかったが、このシーンを観れただけでよかったと思う。