『最終目的地』

午後、六本木シネマートで『最終目的地』の試写を観る。監督は『日の名残り』など文芸映画ばかり撮っているジェームズ・アイヴォリー。出演はアンソニー・ホプキンスシャルロット・ゲンズブール、そして真田広之。原作はピーター・キャメロンで、例によって新潮社のクレストに入っているもの。
中東系アメリカ人の文学研究者が、著作を1冊だけ残して自殺したウルグアイの作家の伝記を書くために、作家の家族を訪ねる。そこでは作家の妻、作家の愛人とその娘、作家の兄とその同性愛のパートナーが同居していたが、主人公の訪問によって、彼らの奇妙な生活にも変化が生じる。そこに主人公の恋人もアメリカからやってきて…というのが主なあらすじ。
人々の感情が細やかに、そしてその舞台は美しく描かれている。文芸映画としてはおそらく佳作であろう。しかしながら、死んだ作家の家族たちの暮らしぶりはどう考えても不自然であり奇妙なのだが、その不自然さや奇妙さがなぜ、どのように成立したのかは、あまり詳しく描かれていない。もちろん観客に委ねるというのも1つの態度であろうが、腑に落ちない者はおそらく僕1人ではないだろう。
また彼らが(主人公をまじえず家族どうしで話すときも)英語で話していることも不自然といえば不自然である。舞台がどこであろうと、登場人物が何人であろうと、すべての台詞を英語にすることはアメリカ映画では珍しくないが、この作品ではスペイン語の台詞も少なからずあるのだ。僕は実を言えば、多くの言語が飛び交う「他言語映画」が大好きなので、もし英語とスペイン語の使い分けが説得力あるかたちでなされていたら、僕はこの作品を絶賛していた可能性もある。惜しい。


終了後、国会議事堂方面に移動し、カフェで仕事しながら時間調整してから、セミクローズドのある研究会に参加。臓器移植について議論。その場で古い知人と偶然再開した。これを機に交流を再開できればいいと思う。