『イゴールの約束』、『少年と自転車』

今日は午前と午後、早稲田松竹で、ダルテンヌ兄弟の『イゴールの約束』と『少年と自転車』の二本立てを観てきた。あいにくの雨だったので、すいているだろうと思っていたのだが、そんなことはなく、開場より数十分前だったにもかかわらず、すでに列ができていた。僕も隣のコンビニでお昼ご飯を買って列に並んだ。早稲田松竹にもシネコンと同じように自動化の波は押し寄せいて、以前、チケット売り場の窓があったところには券売機がある。しかしその隣には人がいて、機械へのお金の投入などはその人がやってくれた。これは休日朝だけのサービスなのだろうか? 受付はそれとは別にある。上映予定のチラシをもらい、途中退出のための札があることも確認。(ちなみに早稲田松竹に来たのは1年ぶりぐらいか?)



まずは『イゴールの約束』から観る。主人公の少年は、不法移民の斡旋などを行う父の仕事を手伝っている。盗みなどの犯罪行為も罪の意識なく行うのは明らかに父親の影響であろう。そんな彼が、あるアフリカ系移民の家族に起きた出来事によって、心境に変化が起き、父親の束縛から逃れ、おそらくは罪の意識をも感じ始める。その過程が描かれている。舞台はベルギー。ベルギーといえば美しい国であり、福祉国家というイメージがあるが、この映画には、ダルテンヌ兄弟のほかの作品と同じく、移民、貧困、犯罪など重苦しいテーマが影のように覆い被さっている。そこに少年の成長、というか、父の束縛からの脱却、というか、ようするに父殺しという普遍的な物語が進行する。秀逸。犯罪に手を染めている父親との葛藤、脱却を描いているという意味では、数年前に観た『真夜中のピアニスト』を思い出した。それもフランス語圏の作品だったはず(そのほか『アニマル・キングダム』なども想起した)。もちろん秀逸。



15分間の休憩時間にパンをもそもそと食べ、そのまま、ダルテンヌ兄弟の現時点での最新作『少年と自転車』を観る。親に捨てられて施設で暮らす少年が、父親に会おうと試みるのだが、その思いは挫かれる。その一方で、「週末里親」になってくれた美容師の女性とときを過ごすうちに、彼女に対して、徐々に心を開いていく。この作品でもやはり貧困や犯罪が影を落としており、決して明るい印象だけが残る物語ではない。しかし、美容師の女性の存在には、わずかながらも救いがある。子どもや若者の成長には、まともな大人の存在が必要、という当たり前の事実を再確認。もちろん秀逸(ダルテンヌ兄弟のほかの作品以外に、『ベルサイユの子』なども思い出した。やはりフランス語圏の作品だ)。



イゴールの約束』と『少年と自転車』の共通点は、主人公の父親がどちらもろくでもないヤツだということ。しかし子どもは親を選べない。だから親に問題があると、そのマイナス的な影響は子どもに対し重くのしかかる。重すぎて耐えられないほどだ。そこにはやはり「社会」の介入が必要であろう。しかしその「社会」にも問題があるとどうなるか、という終わらない問いを、ダルテンヌ兄弟の作品は投げかけ続けている。
そしてダルテンヌ兄弟の作品はいずれも、子どもや若者に優しい。子どもならではの残酷さを、ときには描きつつも……。