『ハンガー・ゲーム』

近所のシネコンで『ハンガー・ゲーム』(ゲイリー・ロス監督)を観る。主演はあの『ウィンターズ・ボーン』の演技が光っていたジェニファー・ローレンス
近未来、アメリカにある独裁国家では、過去に反乱を起こしたことのある12の地域から選ばれた少年少女24人が最後の1人になるまで殺し合う「ハンガー・ゲーム」が年1回の娯楽的な行事として行われている。貧しい第12区の少女カットニスは、抽選でゲームのプレイヤーに選ばれてしまった妹に代わって、ゲームに参加する……というあらすじが宣伝されるとき、多くの人は僕と同じく『バトルロワイヤル』を思い出しただろう。
なかには観る前から「パクリだろ」という人もいるかもしれないが、それをいったら、『バトルロワイヤル』の原作小説は、スティーヴン・キングリチャード・バック名義で書いた『死のロングウォーク』との類似がすでに指摘されている。『デスレース2000年』や『バトルランナー』を思い出す人もいるかもしれない(後者の原作はキングがバックマン名義で書いた『ランニングマン』)。
であるとしたら、ここでは “サバイバル・ゲームもの” というジャンルが存在するということを前提として鑑賞するべきではないか?
僕としては、主人公カットニスのキャラクターがすばらしく、それを演じるジェニファー・ローレンスの演技がこれまたすばらしく、非常にいい印象をもった。カットニスは貧しい地域に住み、家族思いで、ときには得意の弓で野生動物を狩り、家計を助けている。「ハンガー・ゲーム」では戦闘能力だけでなく、スポンサーを集めるためのPR能力も問われるのだが、彼女自身はそうしたことがあまり得意ではない(が、スタッフが彼女を手助けする。そのスタッフの1人をレニー・クラヴィッツが演じている)。そしてカットニスはその境遇のためか、あまり笑わない。
そう、このキャラクターは、壮絶な体験を通じて少女ではなく大人として生きることを強いられているという意味で、『ウィンターズ・ボーン』のリーとまったく同じである。ジェニファー・ローレンスは今後も薄幸で健気なキャラクターばかり演じるようになるのだろうか…と思ってしまったのだが、結果がよければいいだろう。そして結果はよいように思われる。
設定やストーリーに気になるところがないわけではない。たとえばラストはあまりに登場人物たちを救い過ぎている、そのことによって観客に媚びている。だが、物語の背景にいわゆる格差社会を組み込んでいる点などは世相をいい意味で反映しているだろう(なお同様の社会事情を反映している作品は最近多い。『TIME/タイム』や『トータル・リコール』など。映画は社会の鏡である)。どうせだったら、ハンガーゲームは国家が運営するのではなく、民間企業に外注されている、という設定にしてほしかったが、そこまでは求めすぎである。おそらく映画通の間での評価は高くないだろうが、僕1人ぐらいほめておいてもいいだろう。