『塀の中のジュリアス・シーザー』など

午後、いつもの京橋テアトルで、タヴィアーニ兄弟の新作『塀の中のジュリアス・シーザー』の試写を観る。「ジュリアス・シーザー」というのはいうまでもなく、「ブルータスよ、お前もか」という言葉などで知られるローマの皇帝の名前だが、そのままシェイクスピアの戯曲の名前にもなっている。プレスキットによれば、後者はこれまで二度ほど映画になっている。
この映画では、ローマのある刑務所で、囚人たちが『ジュリアス・シーザー』を一般観客に向けて演じることになり、そのためのオーディションから練習、発表までの様子を描く。ほとんどはモノクロ。途中、刑務所内の劇場が改修工事となり、役者である囚人たちは自室や廊下、階段などで稽古を続ける。
囚人たちはまるで『ジュリアス〜』の役柄のまま、服役しているみたいで、どこまでが『ジュリアス〜』の台詞で、どこまでが服役中の囚人としての台詞なのか、僕にはわからないところがほとんどだった。もしかしたら、シェイクスピアに親しんでいる人であれば、用意に区別できるのかもしれないが、そうでない人には、わざとわかりにくくしているのかもしれない。
囚人たちが演劇をする、というと、わざとらしいぐらいの感動的なストーリー展開やラストがありそうなものだが、そういう作品ではない。お涙頂戴のドラマではなく、実験的な文芸映画、あるいは文芸的な実験映画である。アイディアは優れているが、僕的には…。


観賞後、歩いて銀座のアップルストアへ。iPod nanoの新機種が発売されていたら買おうと思っていたら、1階には見当たらない。まだ発売されていないのかと思ってスタッフに尋ねてみると、昨日発売され、2階で売っているという。2階でも見当たらないので、またスタッフに尋ねてみると、隅っこにケースが置いてあり、人が並んでいた。稼働状態の見本はなかった。アップルにとってiPod nanoはもはや、力を入れて売りたいものではないのだろうか? それでも人が並んでいたので僕も並び、黒がなかったので、色はこれだけですか、と尋ねてみると、黒は人気で品切れです、またのぞいてみてください、とのこと。僕は古いnanoをリサイクルプログラムに出したい(そして新品を1割引)ので、またのぞくことにしよう。それまではiPodなしの味気ない外出が続くことになる。