『ロンドンゾンビ紀行』、『おだやかな日常』など

昼頃、渋谷のアップルストアで、ようやくiPod nanoの黒を買うことができた。リサイクルプログラムを使って1割引されて1万円強。これだけ安いと「消耗品」としか思えず、耐久性については文句いえなさそう。懸案の錆予防、確実な方法は聞けなかった(当然であろう)。コネクタが30ピンから8ピンに変わったので、旧モデル用のカバーは使えないのだが、新モデルに合うカバーもそのうちに発売されるでしょう、とのこと。ふむ。


キノハウス(旧Q-AX)に移動し、地下の映画美学校の試写室で、『ロンドンゾンビ紀行』(マティアス・ハーネー監督)という映画の試写を観る。原題は『Cockneys VS Zombies』。「コックニー」というのは「ロンドンッ子」のこと。邦題は『ロンドンッ子vsゾンビ』でよかったのでは? 実際、試写の前に配給・宣伝の人も「原題「Cockneys VS Zombies」…」でわざわざいっていた。「紀行」じゃないし。
というわけで邦題には引っかかったのだが、作品自体は結構面白かった。同じくロンドンを舞台にした『アタック・ザ・ブロック』の、エイリアンをゾンビに代えたものといえばいいかも。ようするにゾンビがアメリカではなくロンドンに現れ、労働者階級、というか失業中の若者たち、しかもチンピラに近い連中がゾンビと戦う、という話。ようするに『ショーン・オブ・ザ・デット』か(笑)。
舞台がイギリスでも、ゾンビ映画ではおなじみのお約束は踏まえられ、そのうえでギャグと社会風刺が展開。たとえば愛し合う男女が「私がゾンビに噛まれたら、ゾンビになるまえに私を殺して」っていう台詞、これまで何度聞いたことか(笑)。この作品では、これをいうのはジジイとババア。そう、この映画では、先進国ではある程度共通ではあるものの、イギリスで顕著な格差社会と老人問題が、ギャグと社会風刺の対象になっている。早く歩くことができず、歩行器を使ってゆっくりとしか歩けない老人が、同じくゆっくりとしか歩けないゾンビに追いかけられるシーンを笑っていいものか(笑ったけど)。ゾンビは頭を撃たれると動かなくなるということについて、ある登場人物が「常識よ!」といったのも笑えた。つまりこの映画の世界でもゾンビ映画のお約束が知られている! そのほか、過去のゾンビ映画へのオマージュと思われるシーンも多く(『死霊のはらわた』、『ショーン・オブ・ザ・デッド』などなど)、十分に楽しませてもらった。登場人物たちの回想、というか妄想シーンは、タランティーノの影響かな? 


六本木に移動して、シネマート六本木で、『おだやかな日常』(内田伸輝監督)という映画の試写を観る。これは僕としては非常にコメントしにくい作品。
東京に住む2人の比較的若い女性が、東日本大震災原発事故によって、放射線におびえながら日々を送る。1人は自分の子どもを守りたいがために、同じ保育園に子どもをあずける別の母親たちと軋轢を起こす。同じマンションに住むもう1人も配偶者と…。その様子が手持ちカメラで映される。演技はおそらく大半がアドリブ。言い間違いもそのまま。リアルさをつくるためであろう。エピソードも、いまの日本人にとっては、おなじみのものばかり。
ただこうした手法とエピソードでリアリティが高められると、かえって「あれ?」と思うところもあった。たとえば「フリーライター」である女性が写真をメールした後、その紙焼きを宅急便で送ったり、ふつう「原稿」というものを「レポート」といったり、不自然といえば不自然。
エピソードの多くは、3.11後の日本社会で実際にあったことをモデルにしていると思われるが、誇張し過ぎのような気も。どうせなら、誇張ではなく、たとえば塚本晋也(とCocco)の『KOTOKO』のように、抽象化したほうがよかったのでは、とよけいなことも言いたくなる。
そして何よりも気になったのは、主人公の2人に対立する者たちがあまりに一面的に描かれていたこと。主人公2人の言動にそれなりの事情があるのと同じく、2人に対立する者たちの言動にも同じくらいの事情があるはず。それを非対称的に描いて主人公側にてこ入れするのは、物事の単純化であろう。片方の主人公が被災地の出身である設定されていたこと、いわゆる放射能差別も少しだが描かれていたことが救い。というわけで、僕的にはあまりいいコメントはできないのだが、絶賛する人もいるんだろうなあ、きっと……。
ところで園子温監督の『希望の国』も原発事故を描いているらしい。ぜひ比較してみたいところだが、僕はまだ『希望の国』を観ていないのでなんともいえない。


国会議事堂前に移動して、官邸デモではなく、生命倫理関係の、ややセミクローズドな研究会に参加。セミクローズドとはいっても、今回のテーマは「新型出生前診断」で、参加者はいつもより多く、おまけにテレビの取材まで入っていた。主にある良心的な産婦人科医の話を聞く。
終了後にちょっとした懇談会のような集まりがあり、ひさしぶりに会った人々などとあいさつを交わす。また数年前、ちょっと失礼なことをしてしまった人にも会ったので、あらためてそのことをお詫びしたら、相手はまったく気にしていなかったようで、少し安心した。
夜半に帰室すると、メールがたくさん届いていた。気になっていた問題のうち、1つは解決したようだ。僕が優れていたためではなく、相手が寛容だったことが幸いした。新しい仕事の引き合いも。「森口iPS事件か」と思ったら、テーマは「痛み」だった! 全力で取り組む所存であることはいうまでもない。