『ニッポンの、みせものやさん』

非常勤の後、新宿のK’s cinemaで『ニッポンの、みせものやさん』(奥谷洋一郎監督)というドキュメンタリー映画の試写を観る。(20時半に上映開始というのは、試写としては遅いが、時間を有効に使えてよい。)
タイトル通り、見世物小屋のドキュメンタリー。見世物小屋というのは、存在はもちろん知っていたが、残念ながら僕は入った記憶がない。それもそのはず、かつては日本に数百あった一座は、映画やテレビなどの娯楽の多様化にともなって衰退し、いまでは一軒しかないらしい。この映画は、その最後の一軒「大寅興行社」を約10年かけて追ったもの。
見世物小屋の人たちは、当初、自分たち自身が見世物になる(つまり映画の被写体になる)ことを拒んでいたらしいが、作品を観る限り、ほとんどの人たちはカメラの前で快活に話している。監督はそれだけ時間をかけて彼らと良好な人間関係をつくったのだろう。
この一座が現在、主に見せているもの(のうち、映画で紹介されたもの)は、火を吹く女性や蛇を食べる女性。後者はちょっとグロいが、もちろん、見世物小屋はグロくてなんぼのもんであろう。
見世物小屋が衰退していった原因として、やはり身体障害者を文字通りの見世物にすることへの世間の風当たりが強くなったということが、出演者の証言やナレーションでほのめかされる。欲をいえば、そこをもう少し知りたかった。いったいどのような障害を持つ者が見世物となり、どのような苦情が寄せられ、どのような判断で障害者たちが見世物の舞台から消え去っていったのか? 映画では、過去の看板などの資料が紹介されるが、そこには結合双生児の絵が描かれている。本物を見せたのだろうか? それともトリックでそう見せたのか? 不謹慎だが、興味は尽きない。そしてミゼット・プロレス(いわゆる小人プロレス)のレスラーたちがテレビのコント番組に出演していたのだが、やがて出演できなくなった、というエピソードを思い出さなくもない(森達也のテレビドキュメンタリーか高部宇市の『きみは小人プロレスを見たか』(幻冬舎アウトロー文庫)で紹介されていたはず)。
障害者に対する人権意識の向上は、もちろん一般的にいえばよいことなのだが、ときとして、彼らの居場所を狭めてしまう、というかもっと切実に、収入源を奪ってしまうこともありうる、ということは記憶にとどめておくかもしれない。
いずれにせよ、やがて消えゆく見世物小屋の最後のきらめきを記録した佳作。モーニングショーでの公開というのはもったいない。夜に観るべき作品だ。(なお試写の会場には、名前がわからないのだが、ファビラス・バーカー・ボーイズのイベントにゲスト出演していた女性がいた。そのほかにも映画業界の有名人が何人かいたようだ。もちろん監督も。)