『珈琲とエンピツ』

咳が続いてあまり深く眠れなかったのだが、朝っぱらから電車を乗り継いで横浜の黄金町にあるミニシアター、ジャック&ベティへ。先日、VIDEO ACT!の上映会で『音のない3.11』という秀逸な短編ドキュメンタリー映画を観たのだが、それを監督した今村彩子の劇場公開作『珈琲とエンピツ』を観る。この映画館は僕のところから遠いうえ、モーニングショーだったので、行こうかどうか迷ったのだが、監督の舞台挨拶があるというので、ちょっとがんばって行ってみた。
映画館に着くと、入り口近くで今村監督が誰かと話していた。軽く会釈して通り過ぎると、プロデューサーの阿久津さんに、今日もよろしくお願いします、と声をかけられた。
この作品が公開されたのは今年3月とのことなので、今回の上映はアンコール上映なのだろうか。いずれにせよ、僕は初めて観る。お客さんたちは手話で話している人が少なくなかった。
この映画の主人公は、太田辰郎さんというろう者。いや、たまたまろう者であるというだけで、サーフショップ店主兼サーフボード制作者兼サーファーの男性といったほうがいいだろう。監督は、ろう者・聴者関係なく、誰とでも交流する太田さんの人間性に惹かれて、この映画をつくり始めたという。太田さんはお店にお客さんが来ると、珈琲を出す。ハワイアンコーヒーらしい。レジの横には

いらっしゃいませ 私は 耳が不自由です ご用件はメモに書いてください Ota Surf House

とあり、紙とエンピツが置いてある。太田さんが、当然ながら手話のできない聴者もいるお客さんたちとコミュニケーションをはかるために考案した工夫らしい。この映画のタイトル『珈琲とエンピツ』の由来だ。常連さんのなかには、ろう者のサーファーもいるが、手話のできない聴者のサーファーもいる。「ハワイアン雑貨」の店でもあるため、家族連れの客も来る。カメラは、初めてこの店に来たと思われる聴者の客たちが、戸惑いながらも太田さんと筆談で話し、あっとういうまに打ち解けていく様子をみごとにとらえる。
一般論だが、映画、というか物語というものは、その過程で登場人物が成長しないと、物語としての意味はない。この映画では、かつてろう者のサーファー青年だった太田さんが40過ぎて念願のサーフショップを開店し、それを成功させていくその過程が、もちろんその「成長」なのだが、実はそれだけではない。ナレーションやパンフレットによると、今村監督は、手話を知らない聴者と交流することが苦手だったらしい。そのことがまさに、監督が、ろう者とも聴者とも分け隔てなく交流できる太田さんを撮ろうと思った理由の1つだったらしいのだが、彼女はこの映画で、聴者の青年と筆談を試みて盛り上がったり、太田さんのお店の常連で聴者のプロサーファーの女性からサーフィンを習ったり、明らかな成長を見せる。『珈琲とエンピツ』は、おっさん(失礼!)が主人公のドキュメンタリー映画だが、さわやかな青春映画でもあるのだ。
ところで先日のVIDEO ACT !の上映会で、『音のない3.11』について、僕は監督に「課題や反省点は?」と尋ねてみたら、監督は、ろう者の被災者を取材することはできたが、その家族の聴者には取材できなかったことが悔やまれる、と答えた。ところが、『珈琲とエンピツ』には少なくない聴者が登場する。ろう者と聴者との邂逅も何度も描かれる。上映後に監督と主人公である太田さんの舞台あいさつがあり、その後パンフレットを買って、列に並んでお2人にサインしてもらった。そのとき監督に「聴者の取材、できてるじゃん!」とノートに書いて伝えると、てへへ、という感じで笑っていた。
僕がもらったサインには「夢は叶えるもの」というメッセージが添えられていた。12月8日といえば、僕がフリーランスのライター稼業を始めた日でもある。あれは1995年だったから、もう17年か…。夢が叶ってフリーライターになったわけじゃないが、とにかく物書きにはなった。それは確かだ。(なお舞台挨拶の様子を撮影してみたのだが、残念ながらうまく撮れなかった。カメラ、本気で練習しよう…。)