『ひかりのおと』、『故郷よ』

午後、『ひかりのおと』(山粼樹一郎監督)の試写を渋谷のrelations. デジタル試写室で鑑賞。岡山を舞台に、かつては音楽を志していたもののいまは故郷の岡山に戻り実家で酪農に取り組む主人公の心模様を、その家族や恋人との関係を通じて描く。『海炭市叙景』の岡山版、といったらいいだろうか?
台詞はきわめて少ないうえ、棒読みであり、登場人物たちの表情は乏しい。にもかかわらず、というか、だからこそ、というべきか、地方独特の閉塞感とそこに暮らし続ける人々の感情がじんわりと伝わってくる。手法は違うものの、前述の『海炭市叙景』や『サウダーヂ』などと通じるテイストの佳作。
余談だが、この作品を観てふと思ったことは、最近、地方を舞台にした映画が多いが、僕が愛憎まざった思いを寄せざるをえない故郷・愛知県は、なかなか映画の舞台にならない、ということ。『1リットルの涙』ぐらいしか思い浮かばない。が、最近、『さよならドビュッシー』が名古屋などでロケして撮影されたことを知った。ちょっと気になる。


京橋に移動して、『故郷よ』(ミハル・ボガニム監督)の試写をいつもの京橋テアトルで鑑賞。タイトルの「故郷」とは、チェルノブイリの隣町プリピャチのこと。結婚したばかりなのに、消防士の夫を亡くした女性をはじめとする、チェルノブイリ事故に人生を翻弄されたプリピャチの人々の人生を描く。
10年後、女性は「チェルノブイリ・ツアー」という観光ツアーのガイドを勤めてながら暮らし、「なぜここにいるのか」という質問にいつも「我が家だからよ」と答え続けながらも、フランス人の婚約者と夫の友人でチェルノブイリで働く男性との間で、いいかえれば、故郷を離れるべきか、それともどまるべきか、揺れる。
チェルノブイリ事故については、まさに『プリピャチ』という題名のものを含めていくつかのドキュメンタリー映画がつくられているが、フィクションは少ない。(プレスキットにある監督インタビューでは、フィクションはない、と書かれているが、『カリーナの林檎』があるはず。)それだけクリエイターたちが事故とその意味を租借するのに時間がかかったのだろう、とも思ったが、日本では早くも『希望の国』や『おだやかな日常』がつくられている。映画作品をつくるということ自体のハードルが下がっているのだろうか? 業界の事情に明るくないのでコメントは差し控える。
いずれにせよ、僕らは数年後『オオクマ』あるいは『フタバ』という作品を観ることになるかもしれないと予感させる逸品。(主人公の女性の言動にいまひとつ共感できなかったのだが、それはおそらく僕が男性だからであろう。いやそういうことにしておこう。)監督がイスラエル人というのも興味深い。