『ベルトルッチの分身』、『孤独な天使たち』

午前中、いつもの京橋テアトル試写室で『ベルトルッチの分身』(ベルナルド・ベルトルッチ監督)の試写を観る。
ベルトルッチといえば、僕にとっては『ラストエンペラー』や『シェルタリング・スカイ』の監督だが、彼のデビュー50周年企画として初期の3作が上映されることになったらしい(同時上映される『殺し』と『革命前夜』は「デジタルリマスター版」らしいが、『分身』はそう説明されてはいない)。『分身』はベルトルッチの長編としては3作目で、ドストエフスキーの同名小説を原作としている。1968年の作品。
大学で教える青年にある日、「分身」が現れて、「本人」とは別人格のような奇矯な行動を取り、「本人」は狼狽し、2人は画面のなかでただひたすら意味深な会話と行動を続ける……のだが、僕にはいまいちピンとこなかった。おそらくゴダールなどいわゆるヌーヴェルバーグの諸作品に影響を受けているのであろうが……少なくとも僕の守備範囲ではないような気がする(僕はゴダールフェリーニなど、ある種のヨーロッパ映画自体をあまり理解できていないということもありそう)。



午後、六本木に移動して、アスミック・エース試写室で、同じくベルナルド・ベルトルッチ監督の新作『孤独な天使たち』の試写を観る。
前述の初期作品上映は、この新作公開に合わせたものであろう。こちらはまあまあ面白かった。もうすぐ邦訳が出るというニッコロ・アンマニーティの小説『ぼくは怖くない』を原作としているのだが、映画の邦訳はこのように異なっている。
情緒が少し不安定らしい14歳の少年が、母親には学校のスキー合宿に行くと嘘をつき、その間、アパートメントの地下室で1週間を過ごそうとする。彼は好きな本や音楽の世界にひたりつつ、親や学校からの自由を満喫しようとするが、そこに突然、異母姉がやってくる。彼女との1週間のやりとりを通じて、少年は社会というか大人の世界を知るようになる…。
よくある通過儀礼もの、といえばその通りなのだが、通過儀礼のきっかけとなる異母姉もまた少年と同じかそれ以上の問題を抱えており、わずかな年齢差がありながらも、2人がともに時間を過ごすことでともに成長していく、という過程が描かれているのはそれなりに味わい深い。またダルテンヌ兄弟の諸作品を彷彿とさせなくもない。